3月23日、全国5地裁の先頭を切って、福岡地裁で九州原告3名に対する本人尋問が行われました。
「私の27年間は、自分でしたいことも何もできなくて肝炎治療ばかりの日々でした」
・・・最初に証言したのは福岡原告14番さんでした。分娩時出血でフィブリノゲン製剤を投与された直後に黄疸を発症した彼女は、その後何度も長期入院を余儀なくされ、現在は肝硬変に苦しんでいます。生まれた我が子を抱く力もなかったこと。夫が看病のために仕事を辞めたこと。インターフェロン治療で入院していたため高額の治療費を用立ててくれた父の葬儀に出席することもできなかったこと。ぽつりと漏らした「くやしいです」との言葉に、奪われた彼女の人生の重さがにじみました。
「33年一生懸命生きてきたつもりだけれども、社会の中で自分だけが何も築けずにとりのこされているような気がする」
・・・次に小林邦丘さんが証言台に臨みました。彼は九州原告山口美智子さんに続いて実名を公表し、各地の法廷を積極的に傍聴して全国の原告を明るく励ましつづけてきました。感染の事実を誰にも相談できなかった孤独感。何をするにも「病気にお伺いをたてなければならない」口惜しさ。「人生を病気に明け渡した」苦悩の日々が今なお続いていることを彼はゆっくりと言葉を紡ぎながら語りました。
「将来のことよりも、将来をつくることを考えなければならなくなった。病気を知ってから、毎日がただ過ぎていくだけのような人生にかわってしまった。」
・・・生後すぐにクリスマシンを投与された福田衣里子さんが3人目に証言しました。成人直後に感染を知って「将来があるのかないのかそれを確保するのが先」になり、他愛のない恋や悩みを話す友達をうらやましく感じる卑屈な自分に嫌気がさしたこと。インターフェロンの副作用で体中が痒くなり、掻きむしって傷だらけとなった顔を見られるのが辛くて引きこもりがちになったこと。被告三菱の弁護士による「女性で、年齢が若い場合には、病気の進行が遅いと聞いたことがありませんか」との問いに、淡々と「若い女性である私はもう慢性肝炎です」と答えた彼女の心中はどのようなものだったのでしょうか。
今後も各地の法廷で、原告の失われた時間、奪われた人生が語られていきます。
(弁・堀)