5月11日に九州訴訟で2回目の本人尋問が行われました。丸一日使って3名の原告の方から被害が語られました。
(画像は傍聴券を求めて福岡地裁前に並ぶ傍聴希望者)
熊本県在住の原告番号8番さん(50歳代女性)は、1980年に長男を帝王切開で出産した直後から強烈な倦怠感を感じ、20日くらいはベッドの上に起きあがることさえできませんでした。その後も体がつらくて家事を十分にすることもできず、これも一因となり、離婚を余儀なくされました。感染を知ったのは2001年。薬害肝炎の報道を見て検査を受けたことから判明しました。感染を告知した医師に「私は後何年生きられるんですか」と尋ねると、医師は「人によっていろいろだが、慢性肝炎になってから10年前後で悪化して死ぬ」と答えました。
「何で私が」と。頭がガーンと叩かれたような、
頭が真っ白になりました。
子どもとの別れが来ることを一番に考えました。
まだ死にたくないと思いました。
長崎県在住の原告番号13番さん(20歳代男性)は、出生直後に投与された血液製剤「クリスマシン」でC型肝炎に感染しました。「クリスマシン」使用者に対して厚生省が呼びかけたHIV調査のときに、ご両親は13番さんがC型肝炎に感染していることを知りました。しかし、当時中学2年生の13番さんが感染の事実を受け止めることができる年齢になるまで教えないことにしました。大学1年になった13番さんは検査のために病院に向かう車の中で、母親に尋ねました。「ぼく病気なの?」。お母さんは13番さんに目を合わさず、言いにくそうに言いました。「C型肝炎という病気。これから肝硬変や肝癌になって死ぬかもしれない」。
母の言った「死ぬかもしれない」という言葉が
頭の中をぐるぐる回っていて、ほかのことは何も
考えられませんでした。
13番さんは、理解してくれると思って感染を打ち明けた、当時交際していた女性からも拒絶されてしまいます。
親から、そのような病気の人とは付き合わ
ない方がいいと言われたということでした。
彼女に「どう思っているの」と聞いたら、自分も
同じように思っているということでした。
13番さんは、それ以降、自分の病気を受け容れてくれる現在の奥さんと出会うまで、誰にも病気のことを相談できませんでした。「死ぬかもしれない病気」である自分が大学で学ぶ意味がわからなくなって、通学ができなくなり、大学も退学してしまいました。
実名公表原告である元小学校教師の山口美智子さん(40歳代女性)は、次男を出産した際、止血剤として使用された「フィブリノゲン」でC型肝炎に感染しました。感染後は肝炎によって体が疲れやすくなったことや、病気を悪化させるかもしれないという不安、インターフェロン治療の副作用などのために、仕事をやめざるを得ませんでした。
幼い頃からの目標だった教師になることを
実現させ、なってからは人間を相手にする仕事
ですからエネルギーを注いでいました。
子どもたちと向き合って、一人一人の子どもの
成長を願って色々な指導方法を工夫していました。
感染してからは体に自身がなくなって、
「こなすだけ」の仕事になってしまいました。
インターフェロン治療では発熱、悪寒、解熱剤の
副作用による下痢、脱毛、倦怠感など全て出ました。
立っているのがつらくて、座ったまま授業をせざるを
得ませんでした。また、悪寒がひどかったので、休み
時間毎にストーブのある職員室に戻り、ストーブの
前でうずくまっていました。
(画像は裁判の後、取材を受ける山口美智子さん)
C型肝炎は、感染被害者の健康だけでなく、仕事、人間関係、将来を奪ったのです。
(弁・竹内)